第1話・心の叫び
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第2話 〜出会い 2〜
その後、私は相変わらず情報収集に明け暮れ、時期が来たら「こらぼたうん」に事業計画書を持って、プレゼンテーションをしようと思っていましたが、仕事を抱えながらの作業は思いのほか時間がかかり、化粧品サンプルを二週間ごとに試用してみたりと事業計画書がまとまるには程遠いところにいたのでした。
その頃になると、私の不振な行動と日増しに山積みになる書類や商材に、さすがに主人も気づき、ある晩、私はついに頭の中に描いている事業計画を言葉にしてみた。 普段からビジネス・アイデアをお互いに話しては、あーだ、こーだやってるせいか、私の予想に反して、彼はさほど戸惑う様子もなく・・どころか異常に乗り気になってしまっている・・・そういうノリで私たち夫婦は、結婚して以来、常識的に考えたらありえない業を二人でなしえてきてしまった経緯がある。
せっかくなので(何が?)今、主人が出張中ということもあり、いない間にプライベートなことにもちょこっとだけ触れてみたいと思います。 ご興味ない方はどうぞ先へ進んでください。
唐突ですが、主人は在日韓国人で、日本で生まれ育ち、大学院に入ったものの就職活動にさしあたり、人種差別を目の当たりにして中退し、アメリカの大学に行き、卒業後帰国して東京で就職。 今でこそ日本も国際社会化が浸透してきたものの、彼の幼少時代は差別が激しく、在日の人々は、それとわからないよう本名を伏せ、日本名(通名)を使って生活していました。 一般に日本企業への就職は困難であることもあって、自営業を営むバイタリティーの強さは自らの生計を立てるために内々から沸き起こる反骨精神に似たものと感じられました。 彼もまたそんな家庭に育ちながらも、大学からは通名を捨て、本名つまり韓国名で堂々と生きる様は、潔さを感じる反面、国際都市という東京でさえ、アパートを借りるのに一苦労(大屋さんが外国人を拒否)する姿に、うまく通名も使い分ければいいのに・・・ と安易に口にして彼を怒らせたことがありました。
持って生まれた血筋のようなものと、生活の中で得た日本人の感覚、そして留学で身に着けたアメリカ人の感覚・・・ いろんな要素がミックスされている彼の存在自体が非常にユニークであり、時に凡人の私の理解を超えるものでありました(笑)。
そんな彼と、母子家庭に育った独立心旺盛な私の共通項がビジネスの話題。語り合うほどに夢も果てしなく大きくなる!
でも何とも不思議なことに現実として「ありえない」ような夢が数年後に現実になっていたりする・・・。 これはもう、思い込みの強さと、ひたすら実現に向けて前へ進もうとする情熱意外のなにものでもないと思う今日この頃です。
今年で結婚十一年目を迎えました。結婚当初、彼はサラリーマンをしていて、私は自宅で子育てをしながら近所の子供たちに英会話を教えていました。
二人目が生まれたのを機に英会話教室を閉めたこともあり、住宅ローンに負われて家計はあまり余裕がなく、それぞれのお財布には千円しか入っていないのが常で、今夜のおかずの心配をする日々もありました。
毎年暮れになると、なぜかトラブルが多発する仕事に、お決まりのように胃炎を煩い、「会社を辞めたい」と言う彼が、ある年とうとう本当に辞める事に。 「あと一年、あと一年」となだめすかして?先送りにしてきたけれど、今度こそはもう無理・・ と私も覚悟を決めて、その翌年一月に、二人きりの会社、「株式会社 彩世(あやせ)」を設立。 社名はどうしても世界の世、世の中の世という字が使いたくて、世にあわせてゴロと音、字画数を見て、彩という字と組み合わせました。 グローバルな視点で、世代を超えて彩々(いろいろ)な楽しいことをやっていこう! そんな思いで出発した彩世でしたが、現実は設立費用さえ友人に借りて、自宅が事務所という細々としたスタートでありました。
幸い、仕事の方は彼が以前勤務していた会社からの要請で(彼がいないと事業部が成立しないらしく)、ほぼそのまま事業部の仕事(電子部品の輸出入)を彩世で受け継ぐことになり、小さな安定は確保されました。なんとか事務所の家賃は捻出できそうだということになり、新横浜に二十坪ちょっとの事務所を借りました。
二十坪といっても社員はふたり。
二人には広すぎるスペースに、卓球台でも置こうかーと冗談を言ったりしながらも、ほどなく、オムツやら哺乳瓶やら育児用品がならび、私にとっては乳児の次男と時折、保育園児の長男を連れてきて育児をしながら仕事をする・・・第二のマイホームのようなスペースでありました。
その後の彩世は、年中あらゆるトラブルに見舞われながらも、売り上げは年々倍になり、ふたりきりの彩世に社員がひとり増え、ふたり増え・・・・
少しずつ、「会社」らしく成長しているところでしょうか・・・
当然ながら社員がふえ、売り上げが増えると、経理や労務、雑務が比例して増え、それまでは仕事がないと近くのプリンスペペで、ふらふらとウインドーショッピングなどもできたりしていたのですが、さすがにそんな余裕もなくなり、私の「なんちゃって経理」では勤まらず、経理ソフトを入れて、ソフトに教えてもらいながらやっている状態でありました。
そのころには、次男も長男同様、保育園へ預けることとなり、本格的に仕事と育児の両立が始まり、小学校低学年にして、すでに重度の算数アレルギー体質になっていたこの私が経理をすること自体がまず大いなる間違いの元なのですが、私も主人も承知の上であえてやらざるを得ない現実・・・(ほかにお願いできる人材がいない)。 お互いにストレス倍増。この辺に私の「心の叫び!(第一章)」の根源があると思われるわけです。 不得意な仕事に、保育園お迎えという時間制限。 残業してでも仕事を完結して帰りたい!と思う日も多々・・・。
勢いに身を任せ、走り続けて、気がつけば三十八歳。 電池もそろそろ充電切れ?だったのか、「心底 癒されたい・・・」と思ったのは、彩世設立から、六年目のことでした。
つづく
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